ギリシャかぶれの放浪記

思ったことをただ書くだけ

母親の覚悟とは

結論から言うとデキ婚でもなんでも子供を育てる覚悟があればなんでもいいと思っています。

 

最近?かどうかわかりませんが子供に無関心な親が多すぎます。

例えば電動機付き自電車に乗って逆走する母親

ながらスマホをしながらベビーカーや子供を放置する母親

どれを取っても子供の事を考えていないばかりか子育てが忙しいからと言う言い訳を利用しているとしか思えない所業です

 

おそらく子供は自分の所有物だと勘違いしていると私は思います。

育児で子供にはいいものを食べさせようと奮闘するのに最も重要な社会で生きるすべであるマナーや秩序の教育を疎かにするのか不思議でしょうがない

子供は親の背中を見て育つと言うのにとても残念な親が多すぎる

 

2ちゃんねる創始者であるひろゆきが先日ペットショップでペットを買う人はブリーダーの実態を知らないクソ野郎とバッサリ切り捨てたが、

私からすると自分の子供が欲しいと勝手に思って作ったはいいが子育てが思いのほか大変で上記のような行動をとったり挙げ句の果てには子供に虐待を行なったり育児放棄する親の方がクソ野郎だし人の皮を被った悪魔だと思う。

 

子供は親の所有物ではなく一人の人間として育てら自信がないやつは子供を作るな

 

子育てを舐めてる親が最近多すぎるので本当に腹が立った

 

父親についてはここではあまり言及しないのは私が見た中で10人の子連れ中8、9人は女性だったからです

 

 

お金とは?

信用というものを具現化した道具の一つと考えます

 

お金と聞くと汚い、あんまり好きでないという人がいるしお金の話をすると嫌がる人がかなりあると思います。

 

しかし、そんな人でも毎日必ず使うのにどうしてそんなに嫌悪感をあらわにするのでしょうか?

じゃホームレスみたいな人はみなとても清廉潔白でいい人かと言うと必ずしもそうではない。

むしろお金持ちより嫌悪する人の方が多いと思う。

 

大概こう言う中途半端な考えをした人というのはお金について何にも知らないか知っているつもりなので上部だけしか知っていないと思う。

 

社会に出れば必ずお金について知っていなければ困ることになるし恥をかくことになる

例えばクライアントとのやりとりで報酬の話をするときだ。

この仕事に対してどれだけのお金を払ってくれるのか。

野球選手なら成績に応じた年俸をいくらくれるのか?

どれを取ってもその人がどのくらい信用(ここでは技術に関する信用)があるかを図るためにお金はあるのだと思うのでお金について議論することはとても有意義だと思う。

 

逆にお金の話を嫌うクリエイターやフリーの人に仕事を任せることは泥棒に金庫番をさせるのと同じくらい滑稽である

 

だから日本のアニメ業界で働く人が安い賃金で文句も言わず働いている限りクールジャパンに未来はないと思っています

 

自己責任

自分が引き起こしたことに対して責任を負うのは当然のこと

フリージャーナリストの安田さんみたいに立派な大義があっても例外では無い

(私の意見としてはまず海外での活動がいかに重要なのか世論に訴えかけまずは政府を動かすことが先決だと思っているがここでは割愛します)

 

逆に、自分には全く非はないのに責任を取らなければならない事は社会に出ると多々あり納得いかないことがあります。

納得だけで済むならそれでいいのだが被害が出ているにもかかわらず知らぬ存ぜぬの対応をする上司を今日見て私は改めて絶望した

 

詳しくはいえないが商品の授受でトラブルがあり相手が一方的にお届けするものを強盗のように奪い取った。

まあ、顧客が自分の物をどう扱おうが勝手だが渡すまでは受託した会社の物なのでいかなる理由があろうとこれは窃盗に当たる行為

当然こちらは会社と警察に報告と通報をしたが会社はあまり事を荒だてたくないらしく会社としてではなく担当者個人で警察に対応してもらうように言うし、警察は警察で元は顧客の物だから被害届は受理できないという回答

まあ、受理したところでたいした結果が得られないのは明白だからそういう対応にはなるのはわかるが対応した警官の対応が悪すぎる

税金で食っている身分とは思えない粗雑な対応だ。

こんな感じで担当者はたらい回しにされた挙句殆どの対応を自分でやる羽目になってしまいとても可哀想だった。

 

本来守るべき社員を会社が見放した瞬間を目の当たりにした時は怒りを覚えた。

しかしこれが現実

何事も社会に出たら自分で責任を取らねばならないという厳しい世界

 

となれば自己責任で突き進むしかない

 

 

 

 

 

命の価値

私が死んで何人の人が悲しむか考えたことがある

有名アイドル、アーティストは一つの街くらいは悲しむだろう

それにひきかえ私は親族とよく遊ぶ友人数人と職場の人せいぜいの20人くらい

 

人の命は皆平等とか言うがこれほど差をはっきり見せつけられるところはないだろう。

それどころか犯罪者に至っては死を望むくらい命が軽くあしらわれる時もある。

 

自分が多くの人に愛されたいとかそんなことは考えたことはありません。

一度大学の恩師の葬式に行ったことがありその時から死とは何か考えるようになりました。

 

人の命はとても尊いもので無くなっていいものはないはずですが、人生長く生きていると自分の命と同じくらい大切な人ができたり逆に人類の負の遺産とまで思うような人まで現れたり自分の思考が理解できない時がよくあります。

 

過去の歴史でイエスキリストみたいに歴史に名が残る人と自分は何が違うのだろうか(キリスト教の人からは顰蹙を買うかもしれないが)?

一度考えると自分はOOだからとか否定的な意見しか出てこない。

人の価値はどれだけの人に愛されたかなのか?

それだけではないはずなのにあながち間違っていないと思うところがまた悩みのタネである

 

 

 

 

 

 

固定概念とは?

LGBT、オタク、アイドル追っかけ、将来の夢が漫画家やミュージシャン等々パッと聞くと一昔前だと肩身が狭かったものがだいぶオープンになってきた今日この頃。果たしてそれが本当にオープンになったかどうかいささか疑問に感じてくることが多々ある。

 

上記に挙げたものすべて公共の場で初対面の人から親友までどこで何を話しても何の問題もない、むしろどこかの人権かなんかは彼らの権利を主張する輩までいる。無論私もそう思いますしそうあるべきである。

っと思っているのはその対象者が自分以外の他人である時または3親等以外の親戚の場合だと思う。

 

基本的に一般の人は上記のような人は自分の近くにいない、いても友人くらいなものだから彼らのことを擁護したりする

しかし、それが自分の近いところにいるとどうなるだろう?

自分の両親、子供、親友、兄弟が実はそうだった場合諸手を挙げて賛成したり理解してあげる人は早々いないと思います。

今まで遠い存在だと思ってたものが実はとても身近に居たとなると拒絶することはないが戸惑ってしまう人が大半だと思います。

 

例えば40、50代のオジさん、オバさんが突然10代のアイドルの追っかけをしている。

60過ぎの両親が突然ミュージシャンやプロのスポーツ選手になろうとする

などどれも社会から認められて当然の行いなのに身近な存在の人がなった途端歯切れが悪くなると思います。

 

こんな風に対象がどういう存在で自分とどんな関係を持っているか人は無意識のうちに考えてその時々によって意見や主張を変えてしまうことは当然なので政治家や人権家も当然世論に左右されるのも仕方のないことだと思う。

 

所詮彼ら彼女らもそれには逆らえないのだから

 

ニート

働けるのに働かない人のこと

働く気がない人のこと

 

このような人のことを「ニート」と呼びます

世間ではこの人々のことを嫌い、その人だけでなく周りの家族や友人にまで冷たく当たります。

 

しかし、私はそうは思えません。

全部が全部ではないのですがニートというのはある意味人間の新しいカタチではないかと思います。

555で言うところのオルフェノクのような存在で今までの価値観を大きく変えうる存在だと思います。

 

毎日あせくせ働くことが美徳と思っている日本では世界から開始に厳しく終了がルーズだと言われています。

100歩譲って自営業の人は仕方がないとして会社に雇われている人も当然のごとく休み時間も関係なく働きます。

そこまで働こうとするのかは日本が島国であり古くから村社会が中心だったから人の迷惑になりたくない、役に立たなければいけない、という一種の脅迫概念を持っているからだと思います。

 

社畜という身を削って死に物狂いで会社に洗脳され働いている人、社畜とは言わないまでも休み時間を削って働く人このような人々は自分ではその仕事はやりたい事であり人の役に立つと思い込んでいる。

そんなことをしているから知らない間に体が蝕まれ精神病にかかりしまいには死んでしまう人が出てきてしまう(実際に何人も見ている)。

 

ここでよく考えて見ると死んだり病気になってしまう前にそこから逃げたりして自分の身体の変化に気づくことができるのは社畜みたいな人でなくニートなのでないだろうか?

自分のことを一切考えず人のために貢献することを否定することはしませんがそれで身体を壊してしまっては逆に迷惑をかけてしまうのではないだろうか?

それならばいっそニートのように他人に迷惑をかけてでも自分と向き合う時間が必要なのでないだろか私はそう思う。

 

ニートになってしまった人にも理由はあると思いますが、ニートだって生きるためにはお金が必要で親の援助や生活保護などが利用できない場合は普通に働きますというか働かざるを得ないと思います。

実際ニートの代名詞になった働いたら負けかな?さん(仮名)もニコ生で就活中だと語っていた。

 

過労死などという日本固有の変な死に方をしてしまう働き方をしている人々はぜひ見習ってほしいものです。

ここで言う私が見習ってほしいと言っているのはニートの「思考」であって生活スタイルや行動を真似しろなんて言いません。

 

逃げることもまた勇気なのだということを忘れないでほしい

 

仮面ライダージオウ

https://news.mynavi.jp/article/20181209-kamenrider:amp/

仮面ライダーディケイド以来の他のライダーに変身できる仮面ライダージオウは期待していたが結構残念な感じがあった。 まず期待していた理由から書きましょう。 何故こうも期待しているかと言うと今作はディケイドと違い今まで登場してきたライダーは全て(フォーゼの福士蒼汰とウィザードの白石隼也は除く)は本人による友情出演していることだ。 今までは(ディケイド放送自体の理由もあるが)ちょっと似ている的な感じで「ライダー」自体というか存在だけが同じで変身する「人」まではおなじでなかった。あとストーリーが2話完結型で展開が早いのはいいが内容がイマイチパッとしないところがあった。 トドメは2クールしかないのに変に話を長くしたせいか「最終回は映画館で」というようなオチ。まあ、その終わり方までは許せたがいざ映画館で見たらまるで別物。 今まではなかったことにして謎の敵が出てきたり、主人公が実は悪の首領だったりもはや理解不能 そんなこんなで今作では本人も出演しているしちゃんと4クール放送するので安心して見ていました、、、、、 ライダーのデザインや今までのライダーが同じ世界にいるという設定には感動した ただ、ただ、ただ 他のライダーに変身する(ライダータイム)がショボすぎる 本人友情出演なのにストーリーがスカスカ というか本人出るだけでライダーに変身したのはビルド、エグゼイド、ゴーストくらい 555のストーリーなんて目も当てられない。あの草加雅人(村上幸平)が自己犠牲なんてするような人でないのに とか残念極まりない。 だけど今週から始まったディケイド回になって一気に流れが変わりました。 あの大根役者だった井上正大が随分声変わりして登場一瞬誰かと思いました 設定も今まで9人のライダーしか変身できませんでしたが今回から18人全てのライダーに変身することができるようになりました。 クウガ、アギト、龍騎、555(ファイズ)、ブレイド、響、カブト、電王、キバ、W(ダブル)、オーズ、フォーゼ、ウィザード、ドライブ、鎧武、ゴースト、エグゼイド、ビルド あまりの感動で気づいた時にはプレミアムバンダイのホームページでそのベルトを予約してしまいました。 ジオウの武器も歴代ライダーの攻撃を操れるようになり戦闘の流れが急にスピードアップ 必殺技だけでなくそれ以外の小技こそ歴代ライダーに変身できるならライダーの強み こうでなくちゃ