ギリシャかぶれの放浪記

思ったことをただ書くだけ

固定概念とは?

LGBT、オタク、アイドル追っかけ、将来の夢が漫画家やミュージシャン等々パッと聞くと一昔前だと肩身が狭かったものがだいぶオープンになってきた今日この頃。果たしてそれが本当にオープンになったかどうかいささか疑問に感じてくることが多々ある。

 

上記に挙げたものすべて公共の場で初対面の人から親友までどこで何を話しても何の問題もない、むしろどこかの人権かなんかは彼らの権利を主張する輩までいる。無論私もそう思いますしそうあるべきである。

っと思っているのはその対象者が自分以外の他人である時または3親等以外の親戚の場合だと思う。

 

基本的に一般の人は上記のような人は自分の近くにいない、いても友人くらいなものだから彼らのことを擁護したりする

しかし、それが自分の近いところにいるとどうなるだろう?

自分の両親、子供、親友、兄弟が実はそうだった場合諸手を挙げて賛成したり理解してあげる人は早々いないと思います。

今まで遠い存在だと思ってたものが実はとても身近に居たとなると拒絶することはないが戸惑ってしまう人が大半だと思います。

 

例えば40、50代のオジさん、オバさんが突然10代のアイドルの追っかけをしている。

60過ぎの両親が突然ミュージシャンやプロのスポーツ選手になろうとする

などどれも社会から認められて当然の行いなのに身近な存在の人がなった途端歯切れが悪くなると思います。

 

こんな風に対象がどういう存在で自分とどんな関係を持っているか人は無意識のうちに考えてその時々によって意見や主張を変えてしまうことは当然なので政治家や人権家も当然世論に左右されるのも仕方のないことだと思う。

 

所詮彼ら彼女らもそれには逆らえないのだから